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【特集】櫻井誠己様 インタビュー

 

 はじめに

令和4年9月17日に開催された「松江商工会議所青年部設立45周年記念式典・祝賀会」にて、松江商工会議所第8代会長であり日本商工会議所青年部(の前身組織、全国商工会議所青年部連合会)の会長を歴任された櫻井誠己様よりお言葉を頂戴しました。

その中で現在も全国のYEG会員が使用している『YEG宣言』を櫻井様が作られたことなど、現会員が知らない驚くようなお話があり、これはぜひもっと詳しくお話をお伺いしたいと思いインタビューさせて頂くこととなりました。

インタビュアーは秋鹿会長と藤本専務理事です。

 

 櫻井誠己様 YEGプロフィール

島根日産自動車株式会社 代表取締役社長  

昭和63年に松江商工会議所青年部へ入会。平成3年の松江商工会議所青年部会長と島根県商工会議所青年部連合会会長を兼任した年度に松江で全国大会を開催。平成4年にはYEG宣言を作成し山形での全国大会にて発表。平成5年、第11代全国商工会議所青年部連合会会長。

 

 YEG宣言

 

  私はYEGとして、夢に挑む。

  私たちはYEGとして、地域を愛し、日本(にっぽん)を愛する。

  すべてのYEGは、連帯の証となる。

 

 松江YEG設立45周年に出席して

 45周年を見てみたいなと思い出席しました。OBの皆さんも同じ思いはあると思いますが、連れ立ってだと出やすいかなと。10年くらいは一緒に活動した後輩がいますが、現役に知り合いがいなくなるとだんだん出てもつまらなくなってくるので。

そういう意味では年代ごとに誰か出るとか分かると出やすいと思います。私の場合は全国商工会議所青年部連合会に出向していたので観点が少し違うところがあるかもしれません。

 

日本商工会議所青年部と全国商工会議所青年部連合会

 当時は全国商工会議所青年部連合会(以下 商青連)といって、各商工会議所の青年部が連合会をつくっているかたちでした。商青連ができて10年くらい経っていましたがあまり認知はされておらず、青年部(以下 YEG)は大都市よりも地方を中心に発足してきていました。

それから数年後に認知され今の日本商工会議所青年部という名称になっています。

 

 入会と全国大会松江大会開催について

 私は2年くらい松江青年会議所(以下 JC)も掛け持ちで入っていました。JCは40歳までなので松江での役職は一段落していましたが、日本青年会議所に出向していたので全国の組織で監事をしていたときにYEGに入会しました。それで全国大会の年度に会長を務めています。当時はJCとの掛け持ちやJCのOBも多く、その人たちとずっとYEGでやってきた人たちが一緒になって全国大会の3,4年くらい前からスケジュールを組んで進めていたのでわりとスムーズにいきました。準備期間には様々な場所を下見して会場を決めたり、他の全国大会も見に行きました。

 松江での全国大会には日本商工会議所(以下 日商)の会頭だった石川六郎(当時 鹿島建設会長)さんが鹿島建設のヘリコプターで出雲ドームに降りられて、私たちも出雲ドームに迎えに行きました。石川六郎さんといえば日商でも特別な会頭でしたので粗相があってはいけないと、鹿島建設もいろいろ手配をして広島の支店長もついて来られました。全国大会で会頭が動かれるのは、日商としてもかなりのことでした。

 

 YEG宣言が必要

 さらに会員を増やしたり全国に広めるためにはYEG宣言を作ろうと私が言い始めたんです。綱領・指針や歌「伸びゆく大地」はありましたがこれではインパクトが弱いんですよね。もっとシンプルな言葉で全員がすぐにわかるようなものが組織をまとめる人間においては必要だと思い、作りましょうと言ったら皆同じことを考えていたみたいで、お前ちょっと考えてみろやみたいな感じでYEG宣言を作ることになりました。

 

 YEG宣言の作成過程

 YEG宣言は平成4年の山形大会の時に大会宣言というかたちで出して、三重県津市の全国大会の年の4月から正式な文章としました。この年が商青連の会長だったので、その前年の山形大会でYEG宣言を発表しようと決め、副会長とYEG宣言の作成委員長を兼ねてやっていました。全面的に任されていたので、委員といっても当時の会長と副会長、専務理事くらいが委員に入っているだけで、特別に考える委員会を作ったわけではありませんでした。

 三段階のものを作って唱和することで会員拡大を図っていこうと思い、「私は」は個人としての青年経済人の部分、「私たちは」は各地方のYEGの部分、さらに「すべてのYEGは」は全国のYEGをどう向かわせるかということで最後に「連帯の証となる」という言葉を持ってきました。「連帯の証となる」のところに何を入れるかということで最後の最後まで話をしました。ここは私が作ったというよりも私の次の次の会長で三重の津の辻󠄀さんという方がいて、彼が私が会長の時の専務理事でした。

辻󠄀くんと話をしていたら「それは連帯の証がいいですよ」となって「じゃあでそれいこう」という感じで決めたんです。役員会などでかなり揉んで色々ありましたが、最後はこれでいこうとなりました。

 

 水郷祭との関わり

 当時は青年経済団体がお金集めからしていました。2,000万から3,000万くらい集めていたと思います。そのうち松江市や商工会議所が全面的に出るようになり、皆で協力しようみたいな流れの中でYEGの役割はこれだと今のかたちになっていきました。最近は妻と二人「やっぱり近くで見ると良いな」と言いながら見ています。

 

 今のスタンス

 我々の年代になると若い人をいかに育てて…育ててと言っちゃ僭越ですけど、ちゃんと世の中を背負ってもらうということを思った方が良いんですよ。あまり心配してもしょうがないですけど、次の世代、青年部の皆さんと同じ40代くらいがあと20年か30年世の中を背負っていけなければいけないので、60代、70代になると少し切り替え時期で、そういう人たちがちゃんとやっていけるような土俵を作るというか、そんな発想でいかないと世の中上手くいかないんじゃないかなと思うんですよね。そういう面では世代的には交代するわけじゃないんだけれどもそういう気持ちでいろんなことに目を向けていくようなスタンスでいるんですよね。

 

 YEGの繋がりで盛和塾中海ができた

 YEGに入っていてよかったのは繋がりができたことです。身近なところでは稲盛和夫さんの盛和塾というのがあり、それを中海圏域でもやろうと私より2つ前の高知の和田さんという商青連会長、米子の長谷川さんなどYEGの繋がりで盛和塾中海ができました。

 

 Young Entrepreneurs Group

 商工会議所青年部の名称を山口の岩国から出ておられた小林さんという方の代の時にYEGというのが考えられて、ご存知の通りYoung Entrepreneurs GroupとYouth、Energy、Generalistというこの2つの言葉の頭文字で成り立っています。これによって会の性格づけがされていまして、その中で綱領や指針ができています。他の団体にはないのがEntrepreneurs(起業家)という言葉を入れたというところで、非常に画期的と言いますか、商工会議所青年部を位置付けるには一番良い言葉です。商工会議所ですから各地の商工業者の集まりという考え方がベースにあり、「企業家」よりも「起業家」の色合いを持たせてEntrepreneursとなったわけですね。そう言う意味でYEGはEntrepreneursという言葉がついていますから、起業家精神を養うことが原点にあります。

私はEntrepreneursという言葉が非常に好きで、会社的にもそういう考え方を活かしていかなければいけないと思っているので、「社長いつまでも元気ですね」と言われるんですが、元気である秘訣というのは、マイナスのことを考えるより自分で起こしていく、それが自分の生きがいになって、周りも巻き込んでいって、次の方向が見えてきます。YEGも数少ないそういう人たちの集まりにしなければならないと思います。

この単語はそれほど一般的ではないですが、YEGにとっては原点であり、重要な言葉じゃないかなと思っています。

私は、死ぬまでEntrepreneursと思っております。

 

 現役会員に向けて

 当時、YEGは子供扱いみたいなところがありましたが、今は若い世代が何をやるかなという目があって、彼らがやっていることの方が一歩進んでいるみたいな位置付けに世の中が変わってきています。そういう面では、社会的にどういう発言をするかという部分もあっても良いと思います。

 YEGは、起業家。起業にも色々あって、0から起こして自分でやられた人もいるし、今の仕事の中でどう転換をしていくかというのもあります。そういう人の集まりなので、最終的には自分の本業で何かをやり、それの延長で社会のことにどう目を向けるかというバランスを常に考えることがYEGらしい組織の持ち方じゃないかなと思います。

 

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 櫻井様のお話を伺う中で、神谷竹彦 第10代全国商工会議所青年部連合会会長が作られたオルゴールのことにも触れられました。オルゴールには商工会議所青年部の歌「伸びゆく大地」が入っていて、今でもネジを巻くと綺麗に音を奏でるとのことでした。

 急なお願いにも関わらず快くインタビューを受けて頂き、こういう機会を頂いたから振り返ってみたら楽しかったと手書きの資料まで用意してくださっていました。

 本当に貴重なお時間、貴重なお話を頂きありがとうございました。